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聴く鏡Ⅱ

一関、べーシーのマスターの書物です。
前作の「聴く鏡」と比べるといくらかすんなり入っていけたように思う。
こんな風に思えるのは、決してこちらの聴くレベルが上がったのではなく、このような方々のオーディオレベルには自分は達することができないという言い良い意味でのあきらめと、ならば、周りに誰もいない(全国にいらっしゃると思うが)昔の音源でCDを作成すると言うことにしたからかもしれません。
音楽もスーと入ってきて何となく楽しいのが良いと思います。
本だって同じことではないかと思います。
なんか解らないけれども,良い本だったというのも良いと思います。
しかし、いつものことながらこの部分に後でブログにと思った箇所が読み終わるとどこだったのか、挙げ句の果てには他の読み物だったろうか?とかなってしまうのが常です。
今回もそのようになり、何回も読み終わった本のページをめくりやっとその箇所を見つけました。

「 『定評あるいいスピーカーを買ったが、いい音がしない』という人がよくいる。『で、もっと高級なものに買い替えてみようかと思う』と続く。ここで何かが変だと思わなくてはならない。
落ち度を全部『スピーカー』になすりつけ、自分の落ち度を棚に上げているところがである。それは『楽器』に例えてみれば至極明白なことである。スタインウェイを買ったからといって、ストラディバリクスを買ったからといって、あの人たちのように上手に弾けるはずはない、ということは常識で、万人が認めるところであろう。楽器のせいにする前に自分の腕を研くことが先決であるのと同じだ。」
と言うところ、その通りと思いつつも、自分の腕を磨くことを十数年前から停止している自分がいる。
結局CDを作ることに専念をしています。と言うことを言い訳にしている。

もう一カ所は、
「〃生〟で聴くジャズに以前ほど興奮しなくなった。その原因については他の人たちの間でもいろいろといわれているようだが、自分なりにもっと深いところにあるものを考えてみた。
表面的には、まず、PAが発達(?)しすぎて、″生演奏″なのに″生″の音がほとんど聴こえず、ありがたみがなくなった。と同時にマイクロフォンの数が多すぎて、枝葉の音ばかりが目立ち、大木の幹が細くなり、森、すなわちハーモニーが失われたところに、まず第一の残念があってカンベンしていただきたい。」
そしてこの章の終わりの方に
「 『摩擦のないところに快感なし』(註・レコードの溝と〝針〟のこと)というが、 『振動のないところにもまた快感なし』。そもそも音楽の正体は空気振動なのだから。」
とある。
先日、テレビで誰かのコンサートの放送を見ていて驚いた、ドラムが透明の板で仕切られている。
これでは、コンサートと言うよりもレコーデングスタジオにお客さんを入れていると言うことのような気がする。
これでは、生放送を大勢で見て聞いてと言うことに過ぎないような気がする。
コンサートは、本当はPA無しで聞けたら良いのですが、実際問題としてそれではCPが合わないのでしょう。
もう完全にPA無しのコンサートは難しいのかもしれない。
だから最近昔の音源を聞くと(電気を等しているはずなのに)何かわくわくするのかもしれない。
そのうち、ヘッドーホーンで聞きながらコンサートなんてなったら最悪です。

コンサートは楽器から出た音で、同じ空気振動の中で(最も場所によって振動は多少異なるだろうが)楽しみたいものである。


聴く鏡 II 2006-2014 (SS選書)聴く鏡 II 2006-2014 (SS選書)
(2014/04/30)
菅原正二

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主に、過去のアナログ音源をCDにしています。
最近は、ライブなどのCDも作っています。

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